それはきっと幻じゃない

出戻りジャニヲタ

私とジャニーズ

ふわっと私のジャニーズ遍歴をさらってみようと思う。

 

 

私がジャニーズにはまるのは必然だった。

物心ついたときにはジャニーズが出演している番組が我が家では流れていた。

なぜなら母親がSMAPの木村担だからだ。

もうかれこれ20年、木村拓哉一筋である。

SMAP×SMAPが放送開始した当時私はまだ幼かったが、一緒に見ていた番組内容を結構鮮明に覚えている。

特に森くん卒業の回はリアルタイムで観た後に録画したビデオでも何度も見返し、何度も泣いた。

私はその当時森くんが一番好きだったからだ。

 

そんなわけで私がジャニーズにハマるのは必然だった。

 

いわゆるジャニーズ黄金世代の時代をリアルタイムで体感していた。

(と言っても当時まだ小学生に上がったか上がってないかくらいだったので記憶として覚えているとことそうでないとこにはかなりムラがあるが)

 

8Jもガキバラも大好きだった。

休日のお昼にやっていたBOYS BE...Jr.も。

なぜか大阪くんと山Pの回は今でも説明できるくらいだ。

そして初めて映画館へ観に行った映画は『新宿少年探偵団』だった。

 

当時はジュニアでもタッキーや小原裕貴、嵐や∞の三馬鹿、錦戸亮

人気だった。が私は米花剛史が好きだった。

小学生で米花剛史が好きだったのは今でも渋いチョイスだと思う。

何が好きだったのか、今ではわからないがなぜか心惹かれていた。

 

その後はジャニーズの番組は結構もれなく見ていたし、雑誌も買っていたがヲタクと言えるほどではなかった。

 

そこからジャニヲタになったのは中学生の時だった。

その当時ひとつ上のいとこが関ジャニ∞にハマっておりライブDVDを見せてもらったのがきっかけだった。

2006年のF.T.O.N魂だ。

10数年前に見ていた彼らがこんなに大きくなったのかとひどくびっくりした。特に錦戸亮に。

あんな小さく高い声で歌っていた彼が...と。

そしてそこからエイターになり、高校では同じクラスに草野担が居たことでさらにジャニーズ沼に浸かって行った。

 

関ジャニ∞から嵐へ

嵐から一度KPOPへ行き、出戻って今に至る。

 

そして今は事務所担のようなかんじで今でゆうクソDDってやつです。

担当とまではまだ言えないけど今の推しメンは伊野尾くん。。

(まさか自分がHey!Say!Jumpを好きになるとは思わず戸惑っている)

 

とまあ本当にざっくりと自分のジャニーズ遍歴を辿ってみた。

(終盤は疲れて雑になってしまったが)

担当遍歴についてはまた後日また辿ってみようと思う。